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機上から

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  室蘭

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  たぶん乗鞍岳(長野)

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 富士山 遠い・・・

関西の某所に行ったら33度だった・・・
帰ったら札幌も暑かったが

夏の出張はたるいぜ(しかも日帰りだし)

------
関係ないが、ドイツはパスだけではなく、よく走ってたらしい
→ こちら

この走行距離はJリーグもぜひやってほしい
湘南とコンサでどのくらい違うか数字で知りたいな
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富士山

本日ハ晴天ナリ

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西日本の某所に行ったら雪降ってるし・・・
まだまだ寒いね~

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その7(最終回)

アメリカ逃亡記2001

最終回(その7)  「How to survive ?」 

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
読むことをおすすめします  → こちら

あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYでテロに巻き込まれて帰れなくなった
 NYはやばそうだったので、カナダに逃げた。

9月14日(金)

 テロが起きたとき、各国の首脳はすぐさま声明を出しアメリカに協力することを宣言していた。
イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、キューバなど・・・

 日本はどうだったか・・・?

 例のごとく何も聞こえてこなかった(小泉首相を側近が止めたと言う話も後で聞いた)。
武力協力ができないのは仕方ないと思うが、日本としての明確な姿勢がすぐに出てこなかったのは
相変わらずと言う感じで歯がゆかった。
 日本はこういう態度が、世界でどう思われるかあまりにも無自覚な気がする。そういうことを
続けてきたために、経済以外ではほとんど期待されてない様子が現地ではわかった。

 日本政府・日本人ではなく、日本製品・日本観光客が期待されてるように思う。
 そして日本に帰ってからの新聞・TVを見て、やはり相当ギャップがあるなあ、と思った。

 テロが発生したとき、各国が行ったことは何か?

 それは自分の国の人たちの安全を考えることだ。

 例えば空港が再開されたとき、アメリカ・カナダは国内便を先に飛ばして、足どめされている人たち
を移動させようとしていた。
 ルフトハンザ(ドイツ)は飛ぶ可能性の少ない国際便を一生懸命飛ばせようとしていた。
 アリタリア(イタリア)も同様だ。

 日本は? ほとんど何もなし!

 オレの個人的意見としては、アメリカに反対されても各空港にANA、JAL機を送って、日本人を
格安でどんどん返すべきだと思った(NYにJALが行ったと聞いて、少し感心したが)。
 湾岸戦争のときに政府が民間機を止めて、結局現地の人はアメリカの飛行機をヒッチハイクしたと
いう話を思い出した。

 またアメリカ・カナダで足止めを食らっている日本人に対して大使館、領事館の役人は何かしてやった
のだろうか?
 少なくとも自ら動いてる奴はいなかったなあ。
 不安がっている日本人が空港に一杯いたけどなあ。

 帰国した後、過去のニュースを含めて確認したが、そういう話はほとんど議論にさえなっていなかった。
その代わり、経済への影響・タリバンの情勢などばかりが議論されていた。現地で感じたこととあまりに
ギャップがあリ、やはり日本国内にいるとオブラートがかかっちまって見えなくなっちまうのかな、
と感じたが、実際のところよくわからんわ。

 協力の話もそうだ。そもそもツインタワーの犠牲者には日本人がいたんだから、必然的にテロに
対抗する立場にあると思う。

 「アメリカに協力すると、日本がテロのターゲットになるから国民は怖がってる」と
朝日新聞の記者がブッシュに直接質問して、怒られとった・・・
(テロに屈してはいけない、とね)すげえ恥ずかしかったな。

 トロント空港で会った様々な日本人についても書いておく。

 70近い老夫婦と仲良くなった。NYから車で来たと言ったら、えらい感激された。
 バックパッカーの女の子が頑張って並んでいた。大学生ぐらいの今風の兄ちゃんどもが文句ばかり
言っていた(その割には何もしてなかったな)。
 おばちゃんが使えなくなったチケットを持ってウロウロしていた(Oさんが一緒に予約を取り直して
あげてた)。

 よく考えたら、英語でキャンセル待ちをしたり、予約を取ったり、と言うのは普通の日本人には
かなりつらいかもしれない。
 我々は普通に英語で交渉していたから慣れてしまったが、そんなことをしたこともない人たちには
厳しかったかもしれんな。
 
 ましてやNYからカナダまで移動するなんて・・・

 バンクーバーから車で旅行してきたと言うおじさんもいた(距離は4000km!)。

 そして特徴的だったのは何個かいたツアーの人々・・・

 ある意味、一番大変だったのはツアーの添乗員だったかもしれない。日本のツアー旅行はいたれり
つくせりで、ツアー客は自分では何もできないくせに、やたらわがままなイメージがある。
 空港で知り合った東急観光の添乗員は、起きた状況をよくわかっていて、我々がNYから来たことを
伝えると、すごい感心していた。
 その人も自分のツアーを、予定を切り上げて早く帰させようとしていたのだが、ツアー客の中で
わがままな奴がいて、閉口しているとのことだった。

 12日はこの状況の中、ゴルフに行ったらしい。

 昨日(13日)、会ったときはカルガリーに日帰り観光に行けと言われて、困っていると言っていた(結局、行ったらしい)。
 我々はNYの状況を伝え、一刻も早く帰ったほうがいいことを言って、励ましてきた。
 その人は今日も会ったが、気の毒なくらいやつれていた。お客さんの意見は聞かなければいけない
と言っていたが、こういう状況でわがままを言う神経が信じられんかった。
 やっぱり状況をわかってないんだろうな、と感じた。

 もう一つ、若い添乗員がいるツアーがあった。
 最初、我々と同様に並んでいたのだが、上司からアメリカ・バッファロー行きの飛行機に乗るように
言われて悩んでいた。

 これも信じられないことだった。

 みんな何時間もかけてカナダに逃げてきているのに、わざわざアメリカに戻ろうとするなんて・・・

 話を聞くと、アメリカから帰ったほうが値段が安いからと言う理由だった・・・

 いくら安くてもアメリカだといつ帰れるかわからんのになあ。Oさんが大反対して、止めろと
言っていたが、上司の指示だから逆らえないと言っていた。

 今日はいなかったので、行ってしまったようだ・・・

 こういう日本人たちを見ていると、いずれも世界では通用しない常識の元に行動しているのが
よくわかる(日本内では普通の行動かもしれんが)。日本はいかに安全で、いたれりつくせりなのかが
よーくわかった。

 いい国に住んでますよ、我々は!

 さてこの日も我々は朝早く、空港に行った。オレ個人としては昨日の疲れがかなり残っていたが、
今日帰れる可能性が高いので頑張った。空港で飛行機が来ているかチェックした。昨日、閑散としていた
のに比べ、今日は大きめの飛行機もある。

 よっしゃ、いいぞ!  ターミナルに入る。
 
 空港内の雰囲気は昨日とは全然違い、整然として落ち着いていた。並び客も昨日ほどではなかったし、
何より国内便、国際便ともに発着案内がずらりと出ている!

 そして13:45成田行きも載っていた!!

 よっしゃ^2!!!

 期待が一気に膨らむ。カウンターに行って、10時からチェックインが始まることを確認。
 キャンセル待ちもそのときに並べとのこと。
 朝メシを食い9時ごろ並ぶ。そのときには既に他の日本人も来ていて、昨日の老夫婦が一番前に
並んでいた(気合い入ってるな)。その後、少ししてエアーカナダの日本語をしゃべれる人が説明を始めた。

 今日は必ず飛びます(おおー!!)。

 飛行機は250人乗れます。今の所、1時間遅れの14:45発です。
 Oさん聞く、飛行機はもう来てますかー? 既に来てます、との返答。

 やったーー!! これで飛ぶのは確実だ!!

 あとはキャンセル待ちで乗れるかどうかだ。 Oさん、例によって人数を見積もる(今回は数えるだけ)。
 空港にいるのは100~150人ぐらいで、キャンセル待ちはかなり出そうな様子。
 ますます可能性が高まり、Oさんはもう乗れることを確信していた(レンタカーを返しに行ってしまった)。

 10時すぎ、チェックインが始まる。キャンセル待ちもすぐに乗れるように荷物チェックを受ける
(Oさん、荷物が重すぎて怒られる)。チェックはやはり厳重で電池は禁止(発火できるので)、電化製品も
チェックされた。キャンセル待ちは午後2時ごろに発表するので、それまで待てとのこと。
 時間がくるまで、知り合った日本人の人(老夫婦やおばちゃん)としゃべったりしながらひたすら待った・・・ 
   
 そして午後1時半ごろ、ついにキャンセル待ちの発表が始まる!!

 しかし、そのときキャンセル待ちをしていた人は、なんと50~60人もいた! 2,3のツアーが混ざっていたからだ。
 早めに帰ろうとしていた賢いツアーの団体だった。

 実は、我々はキャンセル待ちの順番を把握できてなかった・・・

 一番前に並んだ老夫婦が最初かと思ったが、1個目のツアーが最初だった。どうやら列に並ぶ前に
事前に登録していた人がいたらしい。

 やばいかな?

 ちょっとだけ不安がよぎった。たぶん全員乗れるだろうけど、ツアー団体が先に呼ばれるとやだなー!
などと思っていた。

 そして思い切り、不安は的中!! 

 幸い老夫婦は1個目のツアーが呼ばれた後、少しして呼ばれたが、その後も2人、3人、またツアーなどと
言う順番で呼ばれ、なかなか我々の番が来ない。

 しかもツアーの連中がトロくさくて、余計に我々をイラつかせた!

 20人、30人、40人・・・ と呼ばれつづけ、出発時間もせまってきた・・・

 そしてついに・・・、残りは10人!

 しかしまだ呼ばれない・・・

 かなり・・・、けっこうあせった・・・

 大丈夫と思いながら祈る気持ちだった・・・

 そして残り5人になったぐらいで、「シンイチ」とコールがあった。

 シンイチ? 

 あ、Oさんだ!

 やったー、Oさん!!  Oさんがまず行く。
 直後、我々も呼ばれた。3人まとめての待ちだったのだ。

 そしてそしてついに・・・・・・・・・・・・・・・

 搭乗券を手にしたのだった!!!   その瞬間、がっちり握手!!!

 しかし、すぐに乗れとせかされ、手荷物検査所まで走らされる。
 手荷物の電気製品をチェックされる。携帯、カメラが本物かチェック。

 Oさん、なぜか土産にドライヤーとトースターを買っていたため、思いっきり怪しまれる!

 俺らは先に行く(ドライヤーをつけさせられたりしたらしい)。
 既に出発は遅れてオレらを待っている状態だ。飛行機にやっと乗り込む。

 先ほどの老夫婦や、おばちゃんが声をかけてくれる。よかったねえ、と。

 席は・・・、一番後ろだ!

 思いっきりスチュワーデス用と書いてあった。
 キャンセル待ちは余裕かと思っていたが、けっこう席は埋まっていた。残りは10席以下だったかもしれない。

 Oさんも遅れてやってくる。

 そして・・・、3人とも満面の笑顔!!! やったーー、帰れるーー!!

 すごいホッとした(国境を越えた以上に)。幸せを感じながら、離陸を待った。

 そして・・・

 グーーー (-_-)zzz

 ハッ? 寝てしまった!!

 離陸の瞬間をかみ締めたかったのに、座った瞬間に寝てしまったようだ。
 既に離陸後、30分が経っていた。Oさんも寝ていた。
 Oさんはもっと緊張していたようで、14時間のフライト中、メシ以外はほとんど寝ていた。
 やっぱ疲れてたんだなあ・・・

 としをは?  あまり寝れないらしい。

 彼はけっこう神経質で、今回あまり寝れなかったことを知り、意外な一面を見た(としをにそんな
細い神経はないと思っていた)。

 オレととしをは、フライト中ずーっとくだらない話をした。

 トルコは危険度1だったけど、アメリカは今どんくらいかな?

 10ぐらいだろ! アホ、5までしかないわ!! いや10だろ!

 またMLBを見に来なきゃいかんな、でもNYには行かないな。 いや、行くだろ!
 
 DutyFree買おうかな?
 お、この飛行機の模型がいいな。すいませーーん、これ下さい。12カナダ$(1000円ぐらい)
もするのかー。
 あ、これけっこう小さいぞ! 手のひらサイズやんけ!! (ちなみに買ったのはとしを)

 こんなくだらない会話は久しぶり。

 ホッとした気持ちと、帰れて幸せな気持ちと、すげえ疲れたなという感じが入り混じって、訳がわからんかった・・・

 そして約13時間のフライト後、日本時間の9月15日午後4:00ごろついに成田に到着した。
 フライト中、帰れてよかったなー、と何度つぶやいたことであろう。そして日本にいるというのは、
すごい安心感がある。

 9月5日にシアトルに向け(サンフランシスコ経由)出発したので、10日振りの日本だ!

 なんか2回分旅行をした気分だ。 テロ前とテロ後で。

 他の到着便を見てみると、ロスから3便、シカゴから3便到着していた。
 アメリカも今日から飛んだんだな。でもNYはコンチネンタル航空1便だった(NYはこの後も
フライトスケジュールが頻繁に変わって、日本人はなかなか帰れなかったらしい)。

 あのままNYにいたら、どうなっていたのかなー?

 そんなことを考えながら、Oさんに礼を言って別れ、高速バスに乗り込んだのだった。
   
---終わり---  

2001年10月 あとがき

 こうやって書いてみると、いかにオレらがすれすれで動いていたか再認識し、改めて驚かされた。
 すごい緊張感があったのも思い出した。よく帰って来れたもんだ。しみじみ思ってます。

 この後、約2週間がたったが、やっと疲れが取れて、元のペースに戻ってきた(としをもカゼをひいたらいい)。
 現像した写真にはあのツインタワーがやたら写っていた。

 ある意味、NY経済の象徴だったもんな!

 イチローは昨日、新人安打記録を更新した。こういう状況でも彼らはアメリカで頑張ってんだな
(日本人観客はほとんど見かけなかったが)。

 そして我々はといえば、私用の旅行なので会社は何も援助はしてくれず、飛行機代17万円のカード
請求をビクビクしながら待っているのであった(そして、会社は冷たいなー、などと嘆くのであった)。
仕方なかったとはいえ、痛すぎる・・・ 誰か災害援助金くれんかな?

 ま、帰れてよかったです。皆さんにはご心配をかけました。
    
-------
2012年あとがき

 久しぶりに読んだら、やっぱすげえな~   自分が体験したとは思えない

 読んだ人ほぼ全員に、すごいすごい言われたのを思い出した

 その当時のアメリカ(ブッシュ強硬政策)がいかにヤバいか全然知らなかった
 能天気なオレらだった。

 テロにあったのは運が悪かったが、ギリギリかわしたのと、Oさんに出会えたのは運が良かった。
 Oさんには本当に感謝している(この後、礼も言えず・・・)

 こういう目には会わない方がいいけど、いい経験した。
 土壇場では、冷静でスピーディーな判断が何より大事なのを思い知った。

 「としを」との旅行はこれで終わり
 やりつくした感があったのと、翌年(2002年)二人とも結婚したからというのもある

 新婚旅行のときは、ウチの奥さんビビってたな~

 そして、我が家ではいまだにアメリカは渡航禁止だ

 でも、その後にも海外には行っている
 新婚旅行(南の島)、中国(仕事)、イタリア、アフリカジンバブエなど
(ジンバブエはやばかった・・・、新婚旅行、イタリアでもトラブルが・・・)

 そろそろスペイン(バルセロナ)でも行こうかと思っていたら、子供が生まれたので、
もう少し大きくなってからだな 

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その6

アメリカ逃亡記2001

その6 「エアポートにて」 

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
読むことをおすすめします  → こちら

あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYでテロに巻き込まれて帰れなくなった
 NYはやばそうだったので、カナダに逃げた。

9月13日(木)

 11日にテロが発生し、12日に国境越え。

 昨日は国際線はどこも飛んでないので、今日もし乗れれば最短コースだ!

 昨日のチケット予約(17日の予約)は少しショックだったが、混乱の中かなり順調に進んでおり、
我々は自らの行動の正しさを認識していた(的確に、迅速に行動することがなにより大事)。
  
 さてレンタカーの問題はどうするか?  アメリカで借りた車をカナダで返せるか?

 この日は朝5:00にOさんの電話で起こされた。Oさんは時差ぼけが厳しくて、朝早く目が
覚めてしまうらしい。レンタカーを帰せない場合、国境を越えなければならないので、なるべく早く
行動したいとのこと。これまで早く行動することの重要性は承知していたので、5:30に出発
することにした。

 まず近くのハーツに向かう。空港のハーツは混むだろうから、少し離れたところに行く。
 早すぎてまだ空いてない。少し待って、開店後すぐさま乗り込む。
  
 緊張の一瞬だ!

 人の良さそうなおじさんにカナダで返せるか聞いてみる。Oさんが色々やり取りした。料金の
システムは違うが(通貨が違うため)、返すのは問題ないとのこと。
 既に昨日、ワシントンからの車がここで返されていた。

やった、問題解決! Oさん大喜び!!

 やはり国境リバース越えはかなり危険性が高いことをわかっていたようだ。
 と同時に交渉事はあきらめてはいけないことを自覚した。粘り腰が大事だべ!
 普通に考えれば、同じようにレンタカーで国境越えする車はいるだろうから、できるはずだった。
しかし昨日行ったハーツで面倒くさがったのか、わかってなかったのか、無下に断られたので
ショックが大きく、ものすごい不安だったのだ。

 しかしここで簡単に返せたことは非常に大きかった。

 この夜に判明したが、この日アメリカ中でレンタカーによる民族大移動が始まっていたのだった!

 NY、 ワシントン中のレンタカーはほぼ売り切れ!

 そして皆安全なところ、または飛行機が飛ぶ可能性のあるシカゴ・ロス・カナダなどを目指して
大移動していたらしい。
 日本に帰ってからロス空港の中継を見た。
 ワシントンから3日運転してきたおじさん、シカゴから2日かけてきた家族などが紹介されていた。

 そして・・・
  
 カナダ国境はすごいことになっていた・・・

 ナイアガラのレインボーブリッジは昨日、通るのに9時間かかった。
 しかし今日の所要時間は15時間

 また昨日、我々が1時間で通ったバッファローのピースブリッジはなんと13時間!!
 他の所も同じくらいかかったらしい。人々が考えたことは同じで、NY(ワシントン)にいては危険だと
察知し、移動が始まったのだった。

 我々が巻き込まれなかったのはすぐに移動できたからであった(その差は1日、いや半日ぐらいであったろう)。
 おそらくマンハッタンから出れなかった人、ちゅうちょしてしまった人が遅れて移動したのだろう。
 我々は他に選択の余地がなかったのが逆に幸いしたのかもしれない。

 ともかく、この話を聞いてぞっとした。 まさに紙一重!!
  
 そしてNYに一杯いた日本人のことを考えた。
 学生は金がないし、つらいだろーなー。我々は金、免許、仲間、行動力が多少なりともあったので、
うまく切り抜けることが出来たのだと思う。やはりひたすら待機しているのかな?

  そして遂に・・・、残る問題はただ一つ!

  一日でも早く飛行機に乗ること!

 数々の課題をクリアした我々は空港に向かったのであった。

 しかし、トロントの標識はわかりにくく(字が小さすぎ!)、何回も迷子になるのであった・・・

 空港にやっと着いた!(ここまで長かった・・・)

 Oさん、例によって係員に聞きまくる。今日、飛ぶかはまだわからないとのこと。
 とりあえず国際線のターミナルに行ってみる。おお、日本人がいっぱいいる! ここだ!!

 しかし、この日のトロント空港は騒然としていた・・・

 国際便はまだ1便も飛んでないし、カナダ国内も4~5便だ。おお、アメリカ行きが1便ある!
 カウンターは人でごった返しだ・・・
 日本人はツアー、老夫婦、おばさん、なんと車イスの人もいた。カナダに来て帰れなくなってしまったようだ。

 Oさん、ほとんど全ての日本人としゃべっている!

 外国人にもあれだけ話しかけるんだから、日本人なんてちょろいもんだな。
 でもこのときOさんはある目的のために話しかけていたようだ。それは後述する。

 とにかくキャンセル待ちを狙って、我々は列に並ぶ。

 フライトの予定は午後1時半だが、飛ぶとしたら午後3時ぐらいになりそうだとのこと
(表示には全然出てない)。朝、早かったので、かなり眠かったがひたすら待った。

 そのうち、表示にルフトハンザ航空フランクフルト行きが出た。
 でも現地の日本人の人の説明ではまだ国際線は飛べる状態じゃない、とのことだった(そもそも
飛行機が来てないとの話もあった)。ここに限ったことじゃないが、かなりの情報が錯綜していて、
どれが本当かはわからない。午後3時に飛ぶというのも本当かわからないし、今日国際線は飛ばない
との情報も流れていた。

 今までは即座の判断で動いていたが、この場面はひたすら待ちの状態だ。
 ある意味、自分の判断で動いた方が全然楽で(多くの日本人は違うかもしれないが)、ひたすら
待っているのはかなり精神的にきつかった(我々の性格のせいでもあるが)。

 その後、飛ぶのは午後6時ごろになりそうだとの情報が入る。我々はひたすら待つ。我々は状況はあまりわかってなかった

 が、Oさんは飛びそうな感じだ、と言っていた。
 飛行機が飛べれば必ずキャンセル待ちで乗れる確信があった。

 なぜなら・・・、

 Oさんが日本人に話しかけていた本当の理由は、誰が何日のチケットを持っているか聞くためであった!
(Oさん、すごい!! 我々はその間、ぼーっとしていた。もしくは空港内をグルグル回っていた・・・)

 今日(13日)のチケットを持っている人、キャンセル待ちを狙っている人がどのくらいなのか
数えていたのだ。
 と言うのは、飛行機はまともに飛んでないため(国境も渋滞している)、予約した人でトロントまで
来れない人がかなりいるだろうと読んでいたのだ。
 飛行機に乗れるのは200人ぐらい、ここにいるのは100人強ぐらいで、今日のチケットを持っている
 のはもっと少ない人数だ!

 すごい!!  ちょっと感動した!

 なんか「情報は足で稼ぐ」と言うそのままの行動だった。
 我々は今日、帰れる可能性が高まって俄然、元気になってきた。
  
 ところが午後3時すぎ、空港内が騒がしくなってきた・・・

 しばらくしてから、先ほどの現地の人がやってきて、アメリカ国内で再び小さなテロが発生し、
再びアメリカ・カナダの飛行機はクローズした・・・、との説明をしてくれた。

 なーーにーー!!  しかしその後また飛びそうだ、との情報も入る・・・

 会社のNY支社にも電話してみるが、そんな情報は入ってないとのこと(そもそもTVすら見てないようだ!)。

 我々は戸惑いながらもアナウンスを待つしかなかった・・・

 この後、わかったがテロの話はデマだった。しかし状況が状況のため、「アメリカのいくつかの
空港でテロ騒ぎが起きた」というデマはアメリカ・カナダ中に一気に広まり、実際に全ての空港が
一時止まったらしい。
 NYなどは日本からのJAL便が2便来ていて、飛び立った直後にまた閉鎖してしまったらしい。
さらに6便が成田から出発する予定だったが、飛べなかったとのこと。

 あー、NYは飛んだんだ

 でも先に帰れるのは法人や、JAL振替えだけだろうなー。格安チケットのアメリカ系(UAなど)は
なかなか帰れないだろうなー、と思いながらその話を聞いた。

 午後4時ごろ、さっきの日本人が今日は国際線は飛ばない、との情報を持ってきた。
 今日のチケットを持っている人達が帰り始めた・・・
 我々は空港の正式なアナウンスがないので、なお少し待っていたが、午後5時前に英語でエアーカナダ゙の便は
キャンセルされたとの放送が入った。
 
 あー、ダメだったか・・・
 テロ騒ぎがなければきっと飛んだのにねー、とOさんと話しながら、帰ることにした。
 親しくなった日本人の老夫婦に明日がんばりましょう、などと検討を誓って車に戻ったのであった・・・

 しかし・・・

 この日、飛行機は飛んだのであった・・・

 そう我々が帰った後、午後6時ごろに日本行きが出るという発表があり、午後8時ごろ実に予定より7時間おくれで
飛んだとの事だった・・・(席はガラガラだったらしい)。

 我々は次の日、この話を聞いて大いに悔しがった!

 あと一時間待ってれば・・・ キャンセルって言ったのになあ・・・

 通常、国際線は夜中には出ず、だいたい夜7時ぐらいが最後だ。5時の時点で出ないとの話だったので、
あきらめたのもあったのだが、強引に飛ばしたらしい(成田についたのは夜11時だったそうだ!)。

 かわいそうなのは13日のチケットを持っていながら帰ってしまった人たちだ。
 日本の航空会社と違って、キャンセルになったらまたイチから予約しなおしだ。
 次は19日になってしまったらしい・・・

 キャンセル待ちをあきらめて、所有している遅めのチケットで帰る日本人も多かったようだ。
 トロントのホテルはどこも一杯で、しかも便乗値上げしていたので、金がかかったろうと思う。

 ともかくもこの日は帰れなかった・・・

 明日も朝早く空港に来てキャンセル待ちするつもりだ。果たして明日はどうなるのか?
 どっぷり疲れた(特に精神的に)

 我々は空港をあとにしたのであった・・・
  
---続く---

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その5

アメリカ逃亡記2001

その5 「チケット争奪戦」

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
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あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYでテロに巻き込まれて帰れなくなった
 NYはやばそうだったので、国境まで行きカナダに逃げた。

9月12日(水)その3

 トロント市内に着いた。

 当初は空港に行って、様子を見てチケットを買うつもりだった。
ところがナビのオイラのミスで空港は通り過ぎてしまい、市内の中心街まで行ってしまった
(怪しいタワーがあった)。オイラは何となくエアーカナダ航空のビルがある所でハイウェイを
降りた。Oさんの提案でここでチケットを買うことにした。後から考えれば空港より街の
チケットセンターの方が買いやすかったので逆に良かった。

 積極的なOさんは人に聞きまくり、チケットセンターの場所まで強引に案内してもらう。
チケットセンターは大混雑だった。久しぶりに日本人もみた。整理券が配られていた。

 やばい! これみんな予約待ちか!!

 最後の難関が待ち構えていることを悟った。Oさんが予約センター等を使い予約してみる。
見かけはごついが、妙に声がソフトなフランス系の係員にも手伝ってもらう(カナダはフランス系が多い)。

 英語に時々、日本語が混ざる(ソフトな声で)。
 チケットは振替ですか? 新規? 片道ですか? 新しく買うんですね?
 
 ちょっと面白かった。そんなこんなで空き状況を見たが、恐るべし事実が判明した。

 チケットは16日までいっぱい!

 最短で17日しか取れない・・・!

 17日? あと5泊もしなければならない・・・

 かなりのショックが我々を襲った。
 しかもエアーカナダの片道正規料金はカナダ$2100(17万円弱)!!

 金はもう割り切っていたのでしゃあない(としをはカード限度が30万円だったので苦しそうだったが)。
しかし、あと5泊か・・・

 後で状況を整理したが、テロ発生時アメリカに降りれなかった飛行機が全てカナダのモントリオール、
トロント、バンクーバーに降りたとのことであった(その数、合計200便!)。
 特にバンクーバー、次にトロントにかなりの待ち客が発生し、テロ発生後、すぐに帰り便の予約が
殺到したとのことだった。我々も移動中に何回か予約センターにかけたのだが、全然つながらなかった。
かなりの混乱が起きてたことが予想された。その間に予約が続々と埋まっていたようだった。

 しかし、まだ12日中に予約センターに着けたことは救いだった。
 国境で引っかかっていたら、さらに予約は後ろになっていただろう。もう仕方ない!

 すぐに割り切って17日のチケットを購入したのであった。 

 とにかくもチケットをゲットした我々は一安心の気分だった。とりあえず帰ることはできる。
あのパニックのNYにいるよりは全然マシだろう。とにかくこの2日間はメチャメチャ疲れた!
 キャンセル待ちが取れるかもしれない、とりあえず 明日から空港に行ってみよう。
そう思い今日は早く寝ることにした。日本レストランで飯を食い、モーテルを予約した。

 しかし、まだ(!)問題は残っていた。  

 残る問題とは・・・、レンタカーだった。

 レンタカー会社のハーツはアメリカ・カナダ中に支店があり、乗り捨ても可能だ(離れている距離分、
別料金を払う)。しかし国が違う場合はどうなるか?
 NYを出るときにハーツで問題ないことを確認していた。しかしトロント市内のハーツで確認
してみたら、カナダでは返せないと言う。これはかなりショックだった。

 そうすると、また国境のバッファロー(アメリカ側)に戻って、車を返さなければならない・・・

 もう1台借りて、Oさんだけ国境越えして我々はカナダ側で待っているか?
 Oさんは歩きか電車とかで国境を越えるか? など、かなり無茶なことを考えていた。
 しかしカナダで返せる可能性もあるかもしれないので、明日もう一度別のハーツに行って聞いてみることにした。    

 モーテルに泊まる。久しぶりにベッドでくつろぐ。
 17日のチケットが取れたことを会社や知り合いに伝える。

 そして2,3時間後・・・、会社からまたアホな電話がかかってきた。

 17日のチケットが取れて一安心だ。
 社命が出てます、16日までは飛行機は危険なのでカナダに待機しておいてください。

 社命? 16日まで待機? アホか! 帰れたらすぐ帰るわ!!

 金払ってくれるわけでもないだろ?(実際、その後の援助金などは一切なかった)

 状況をよく見ろ!! やんわりと説得させる。

 1時間ほど後で安全であれば帰ってもいいとの指示に変わった。
 ホンマに会社は当てにならんことがわかった。何かあればNY支社に電話してくれ、
といわれていたが、担当者は打ち合わせだらけで有用な情報はほとんど得られなかった。
今後、会社の言うことは一切聞かないことにした(表面上は従うフリをしたが)。頼れるのは
自分らだけであることを改めて悟った。

 ともかく寝ることにした。しかしOさんやとしをはあまり寝れなかったようだ。
 オイラも寝たようで、あまり疲れは取れてなかった。明日はどうなるか? アメリカへまた行くのか?
 国際線は飛ぶのか? とりあえず2日ぶりにちゃんと寝た。  

 そういえばチケットセンターのエアーカナダ航空とルフトハンザ航空はかなり混雑していたが、
UAはさっぱりだった(当たり前だ!)。
 一応、聞いてみたが国際線は18日まで飛ばないとのことで、対応も冷たかった・・・
 UAに責任はないが、しばらくUAには乗れないな。
 
---続く---

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その4

アメリカ逃亡記2001

その4 「遥かなる国境」 

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
読むことをおすすめします  → こちら

あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYでテロに巻き込まれて帰れなくなった
 NYはやばそうだったので、カナダに逃げることにした。

9月12日(火)その2

 国境は通れるのか?

 この不安は走っている間中つきまとった。しかし、対向車も普通に走っていること、近くまで
来ても渋滞は発生してないこと、通っていると誰かが言っていた、などの情報から通れる可能性が
高そうだと感じてきた。

 ところで、トロントに行く前のカナダ国境はナイアガラの滝になる。実は我々は、3日前に日帰り
ツアーでナイアガラに行ったばかりで、2回も行くことになり、ちょっと複雑な気分だった(3日で
2回行く人も珍しいだろう)。
 国境の確認をするためトロントの日本領事館にかけてみる。時間は確かAM7:00ごろ。

 帰ってきた答えはこうだ・・・

 受付時間は9:00~18:00です、メッセージがある方はどうぞ・・・

 カナダはテロの影響がないのか? 日本人がボケているだけか? 

 たぶん後者だ! 恐るべし日本人・・・   この緊急時に定時扱いとは・・・
  
 アメリカのバッファローを抜け、いよいよナイアガラに近づいた。
 うーん、見たことある景色だなー(3日前に見たからね)、と思いながら走っていると国境オープンの印があった!

 ちなみにアメリカは電光掲示板の渋滞情報などはいっさいない。情報は自分の足や、その他の手段
でつかまなければならない。

 やったー! 通れるー! と思った直後に車が止まった・・・  渋滞している? 

 進んでいるか? いや、全く動かない。20分、30分がたった。全く動かない・・・
 国境までの距離もわからず状況もわからない。時間は9時過ぎ。トロント領事館にもう一回かけてみた。
 
 Oさんが話す、国境がどうなっているかわかりますか?

 最初の人が答える、少しずつ通っているようです。
 しかし再度確認したら2人目の人が出て、通ってないと言う。

 Oさん、キレ始める。国境付近まで様子を見に行けないのか?

 1時間以上かかってしまう、との返答。

 Oさん、マジにキレる! こっちは15時間かけてNYからやってきたんだ!! 
 それくらい何だというんだ!! 

 領事館あわてて確認するとの返答。しかしあまり当てにはしてなかった。
  
 相変わらず、動かないのでオイラととしをが車を降りて、前の方に行ってみる。乗用車はUターンを
始め、残っているのはUターンできないトラックばかり(ナイアガラツアーバスもいたが・・・)

 200mぐらい前のトラックの運ちゃんと話してみる。

 いつからいるんだ? → AM3:00からだ。

 少しは動いてるのか? → ほとんど動いてない。
 
 国境まであとどれくらいだ? → 3マイル(5km弱)ぐらいある・・・
 
 絶望的状況であることがわかった。
 後からわかったが、このナイアガラの国境のレインボーブリッジは1車線しかなく、チェックも厳重
だったので、通れたのだがものすごい時間がかかっていた。通るのに9時間かかったらしい・・・

 Oさんに伝えたが、待つしか方法がないのでしばらく待機していた。

 少したって、電話が鳴った。
 この電話は唯一、他人から聞けた有用な情報であった。この電話のおかげで帰るのが早まったと言ってもいい。

 トロント領事館だった。言われたとおり国境を調べてくれたらしい。

 ナイアガラの国境はほとんど動いてない、しかし少し南のバッファローの2つの国境のうち、北側の
国境は比較的動いているようだ、とのこと。

 よっしゃー! それだ!! 領事館やればできるじゃんか!!!

 礼を言って速攻で向かう。周りのヤツにも教えてやる(トラックはUターンできなかったが)。
 30分ほど走ってバッファロー市内に入る。ピースブリッジと言うのを見つける。

 車は? 普通に走っている! よっしゃー、あそこだーーーー!!

 やはりここだった! 高速道路の料金所のように検問所が何箇所にも別れている(10箇所以上あった)。
 アメリカ人、カナダ人は簡単な質問で通れているようだ。これなら早いはずだ。 

 オレらは喜んだ。しかし不安はあった。早いと言っても少しずつしか進んでなく、いつ何が起きて国境
が閉まってしまうかもしれない。そう考えたらすごいあせってきた。
 今回、落ち着いているなと言われ続けたが(深く考えてないだけだが)、オレが冷静でいられない場面
3回あった。それはビルが崩れた瞬間、この国境前、そしてトロントで飛行機のキャンセル待ちを呼ばれているときだった。

 あせっていたオレはこっちの車線の方がすいてますよー、とか言って急がせてしまった。
 そしてやっと我々の番がやってきた・・・

 質問をされる、こういう理由でNYからやってきた、とOさんが話す。空港でチェックインして
しまっているので、出国カードはもうない。そのへんも説明して、ハンコをもらうことにする。

 しかし、我々は3日前に来てハンコをすでにもらっていた(カナダは1回ハンコをもらえば、90日間
自由に出入りできる)。案の定、怪しまれる。

 お前ら3日前に来ているじゃないか?
 確かにこんな短期間に2回もナイアガラに来る日本人はあまりいない。

 Oさんが再び説明する。Oさんとオイラは英会話力は同じくらいの感じだったが、積極性が
全然違っていた。いやあ、助けられましたわ。
 そういうやり取りをして、やっと通してもらえた。

 やったーー!! カナダだーー!! 第2段階を突破したーーー!!!

 このときの、すげえホッとした気持ちは忘れらない。カナダはやさしい感じがした(気のせい?)。
 時間はAM10:00前

 実に16時間の大脱走であった・・・ 

 そして気分が緩んでしまった我々は、何故かナイアガラの滝を見に行く・・・、Oさんが見たことな
 かったからだ。オレらは車で待機しながら見る。 おおー、今日はしぶきが上に上がってるわー!! 
 相変わらずすげえなー!! 観光客はさすがに少ないな、カナダ側から来ているんだな!
 うん? 日本人もけっこういるなー、などとのんびりしてしまった。チケットもまだ取れてないのに・・・

 ここでロスした分、チケットの予約がやや遅れてしまった。後でオレはちょっと反省したが、としを
曰く、人間、完璧には行動できない。あれはしょうがない。と言われた。確かにそれまでの緊張感が
すごかったから、しょうがなかったかもしれないな。 
  
 そしてトロントまで走る。ホッとした気分のせいかもしれんが、カナダの道はちょっと田舎的な雰囲気が
よく気持ちよく走れた。途中、飯を食い、PM2:00過ぎにトロント市内に入った。さあ、最後の段階、
飛行機のチケット取りだ!!
 
 しかし、これもそう簡単にはいかないのであったのだった。

---続く---

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Google Mapより

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その3

アメリカ逃亡記2001

その3 「大脱走」

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
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あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYでテロに巻き込まれて帰れなくなった
 NYはやばそうだったので、カナダに逃げることにした。

9月11日(火)その3
 カナダ行きを決断したことについて

 危機的状況が起きたとき、人はどうするか?

 アメリカの対応は早かった。テロは防げなかったものの、テロ後30分以内に地下鉄、道路は封鎖、
電話も止まり国境・空港も閉鎖した。24時間の戒厳令がすぐに発令された。

 そう、カナダへ行く途中で何人ものニューヨーカー、カナダ人と話をした。人は緊急事態に陥った
とき、まず最善の策を考える。そしてそのために迅速な行動を取ることが重要だ(このときに迷いが
あってはならない)。始め、カナダへ行くことはかなり冒険に感じた。オレやOさんは不安があり、
NYに残る可能性も考えながら、いやこれが正しいんだ!! と半ば自分に言い聞かせるように行動
していた(としをは確信があったらしいが)。

 しかしその後の状況変化が予想通りだったこと、また話をしたアメリカ、カナダ人から
やはりNYを抜けるのが最善の策だろう、カナダへ抜けるのはいい考えだ、と言われ、
段々と確信を持てるようになっていった(実際、無事に帰るまでは何回か不安が襲ったが・・・)。

 しかし、そうは思わない人々がいる。

 それは日本人だ! 

 日本人が危機的状況に陥ったときどうするか?
 まず動かない、様子を見る、待機する、嵐が過ぎるのを待つ・・・ こんな所か?

 実際、後でいやと言う程このことを思い知らされる。この日本人の恐るべしメンタリティはどこから
出るのか? 日本内は平和だからか? 待機できる金などがあるからか? 世界的には全く理解され
ない特徴だと思う。実際なぜなのだろう? 答えは未だに出てない。
 この話は後々、何回か出てくる。
 
 今回、我々の行動は日本人ばなれしていたと思う。国際免許を持っていて、レンタカーを借りて
カナダまで行こう、と発想し行動できた日本人はほとんどいなかったように思う。テロ時にNYには
9000人の日本人がいたそうだが、みんなNYで我慢し飛行機が動くのを待っていたようだ。日本
人的にはそちらの行動が正しいようだ。

 カナダ行きを決断し、Oさんの取引会社から出発したのはPM4:00ごろ。ロングアイランド
から車で北側に抜けるにはマンハッタンの橋を渡らなければならない。しかし大渋滞で事実上、通行
は不可能との情報が入っていた。そうするとさらに東まで行ってフェリーで抜けるしかない。同じこと
を考えてる人たちはいるから、無事に乗れるか? そもそもフェリーが動いているのか? 不安が
あったが、これしか方法がなかったので、1時間程かけてフェリー乗り場へ行った。

 案の定、車の長い行列が出来ていた。オレらも並ぶ。周りの人たちと少し話をしてトロントまでの
道を聞いたりする(オレらは地図も持ってなかったのだ!)。

 結果、1時間ぐらいでフェリーに乗れた。アメリカのフェリーはでかかったからだ! 

 しかもギリギリまで車を詰め込む。アメリカ人はでかければいいと思っているが、ナイアガラの滝など、
そのでかさに圧倒されることもある。少しアメリカ人を見直すことにした。
 我々の車は一番前で、斜めに止めさせられた。目の前は出口でロープを張っているだけ。すぐ向こうは海だ!
 後ろの車が誤って追突してきたら確実に落ちそうで、ちょっとヒヤっとした。

 フェリーの旅は1時間ほど。星がきれいで、この後何回か見上げたりした(Oさんは感激!)
 デッキに上がって休んでたが、みんな不安そうだったな。積極的なOさんはアメリカ人と話しまくる!

 ケネディ空港でUAに乗るところだった、と言うと リアリー? 乗らなくてラッキーだったなー!
と大げさに驚かれた。頑張ってカナダまで行けよ、とも言われたな。しかしアメリカ人はジェスチャーが大げさだ。
のけぞって驚かんでも・・・ とか思った。

 やっと対岸についた。やったー! 抜けたー! 第1段階を突破した、後はひたすら走るだけだ。

 教えてもらったハイウェイを確認しながら、夜通し走ることにした。 

 日本時間で朝になったので会社に電話する。オレの上司はシアトルにいると思ったらしい。としをの
上司はあまり反応しなかったらしい(ちなみにとしをの上司はこの後、一回も連絡はなかった)。携帯
の番号を教えておく。そしてオレらはひたすら走る。Oさんがメインで、としをは第2ドライバー、
オイラはナビだ(と言いつつ寝てたが)。
 アメリカは広い!! シアトルでも思い知ったが、延々同じ道が100~200kmは軽く続く。交代
しながら休みながらひたすら走る。PM7:00ごろフェリーを降り、AM3:00ごろまで走った。
 その後、3時間ほど仮眠をとり朝を迎えたのだった。長い一日はこうやって終わった。

9月12日(水)  
 明け方近く(日本の夕方頃)、会社の総務・危機管理室と言う所から電話があった。テロにあって
アメリカにいる人間を確認しているらしい。そして、あることを言われた。

 あまり動かないで待機していて欲しい。 NYに滞在できないか?
  
 オレは瞬間的にキレたが一応、落ち着いて返答した。既にカナダに向けて走っていて、もう半分を
過ぎていること(NYには戻れない)。NYはパニック状態だったので、そこにいるのは危険だと
判断したことを伝えた。
 しかし、危機管理室とやらはしつこかった。要するに危険があるから何もするな、と言う事だ。
 会社のNY支店に任せろ、とも言ってたな。そもそも夕方にかけてくる時点で既に遅い!! 
 まる1日がすぎてしまっている。またあまりにも状況をわかってない様子に怒りが込み上げてきたが、
カナダまで行くことをなんとか納得させた。

 カナダについたらしばらく待機しろ、としつこく言われたので一応従うフリをした。

 バカヤロー! 帰れればすぐ帰るわ!

 しかし、切った後もしばらく怒りが収まらなかった。と言うかなんか情けなかったな。
    
 さて、次の第2段階は国境越えだ。

 カナダ国境は閉鎖している、いや厳重チェックで通している、などの情報が錯綜して、実際の所は
よくわからなかった。今回、色々な情報が流されていて、混乱状態だった(当然、英語の情報がほと
んど)。オレらは本当のところは自分の目で確かめるしかないな、と思うようになってきた。そして
それは正解だった。

-------続く-----   テロが発生してからまだ1日も経ってない

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その2

アメリカ逃亡記2001

その2 「冒険者たち」

*)この旅行記は2001年当時に書いたものに補足しています。

初めての方は、旅行記2(実際は3):トルコ皆既日食1999から
読むことをおすすめします  → こちら

あらすじ
 「つくる」と「としを」はNYから帰る直前にテロに巻き込まれて帰れなくなった
 空港が閉鎖したので、逃げることにした。

  95年の阪神大震災は大阪にいて被害には合わず、99年のトルコ大地震も1週間のずれでかわしたが、
 今度は帰る数時間前にテロが発生し、巻き込まれることになってしまった。
 ここから逃亡が始まる。
   
9月11日(火)その2

  空港を追い出されたオレらは最初のバスにとりあえず乗った。それはハーツ(レンタカー会社)のバス
 だった。オレらのすぐ後にOさんが乗ってきた。

  Oさんはサーファー用の小物グッズを個人輸入している人で、トシは48才。3日前に娘さんを
 ロスで見送ってからNYに来て、ロングアイランドにある取引会社から品物をもらい、オレらと同じ
 飛行機で日本に帰る予定だった。

  Oさんは経験豊富な人で、アジアやアフリカで色々危ない目にあったことがあるということ
 らしかったが、今回のは今まで一番やばいとすぐに感じたそうだ。

  そして1人で行動するより何人かで行動した方がいいと判断し、オレらが選ばれたらしい。
 もちろん偶然そうなったんだろうけど、2人組で男だったこと、若くて体力がありそうだったこと、
 そして妙に落ち着いてたこと(これは後で何回か言われた)、などが決め手になったようだ。
 あとは世界中の人々を引きつけるとしをの笑顔も効いたかもしれん(この旅もアメリカ人にかなりウケていた)。

  とにかくオレらは異様に行動力のあるOさんに出会えたおかげで、ものすごく助けられた。
 オレらだけだったら、この後の思い切った行動を取ることができなかったか、何日も遅れる結果になった
 と思う。特に後半はもう任せっぱなしだった。金もだいぶ払ってもらう結果になったし(返すつもりだった
 が・・・)、すげえOさんには感謝している。

  Oさんにとってはオレらは不安を和らげてくれる存在だったらしい。Oさんは一喜一憂が激
 しく、実際に飛行機に乗る直前までかなり不安だったらしい。いつも冷静なオレらを見て割と安心していた
 ようだ。

  一方、オレらと言えば・・・、そう冷静だったわけではなくあまり深く考えてないだけであった
 (そんなオレらでもさすがに今回はきつかったが・・・)。

  ハーツのバスで事務所に着いたオレら3人はレンタカーを借りようとしたが、案の定大混雑していた。
 やはりみんな考えることは同じだ。1時間弱並んでやっと借りれた(結構いい車だった)。
  Oさんは携帯電話も借りたのでやっと日本に連絡が取れた。この後、携帯電話が大活躍することになる。

  時間はもう12:00前ぐらいで日本は遅かったが(AM1:00近く)、心配しているだろうと思い
 順番に連絡した。Oさんはテロの直前に、これからUA航空で帰ることを電話していて、その直後に
 テロが起きたので、奥さんは既に飛行機に乗っているものと思ってたらしい。かなり心配してたようだ。

  オレも親父・彼女(今の奥さん)に電話する。
  親父は眠たげだった。彼女はかなり心配してたようだ。このあと、心配しすぎて車の駐禁をとられ、
 ダブルショックで次の日休んだらしい。あまり意味がよくわからなかったが、マメに連絡をとることにした。

  日本からの情報で、飛行機が4機落ちたこと、それはAA航空とUA航空だったこと、まだ不明機が
 7機あること(これは誤情報だったらしい)、犯人はイスラム過激派らしい、などを聞き、状況が思った
 よりもかなりヤバイことになっていることを悟った。

  さてオレらはどうするか考えた。

  当初はケネディ空港の周りにホテルでも取って、明日ぐらいに出なおそうかと思っていた。ブッシュ
 大統領が24時間の戒厳令を出し、明日の正午には解かれるようなことを言っていたからだ。
  しかし空港も狙われている可能性があり、安全ではなさそうなので、とりあえず少し離れた所に
 あるOさんの 取引会社に行って、今後どうするか決めることにした。

  オレらはロングアイランドを東に向けて走り出した。

  しかし、幹線道路は恐ろしいことが起きていた・・・

  マンハッタンに向かう車の大渋滞!! 

  しかし、マンハッタンは北側の橋以外は渡れないので、途中で引き返されている。
  それでも行こうとする車・・・、強引に芝生を横切ってUターンする車・・・、
  反対車線の入り口から出ようとする車(我々もそうしたが)・・・、とわやくちゃな状況だった。

  あまり治安がいい所ではないそうなので、とにかく急いで東側に逃げることを考えて、ようやく脱出した。
  途中、チャニーズレストランで昼飯を食い(ここで飛行機がぶつかる瞬間を初めて見た)、Oさんの
 知り合いの所にやっと着いた。

  そこで一息ついて我々はなんとなく思っていた。

  NYはやばい! なるべく離れた方がよさそうだ!!

  たぶんNYにいた人々はたいがいそう思ったであろう。我々は当日に移動したが、実際に次の日から
 大移動が始まった。
  しかしそう考えたものの具体的にどうするべきかわからなかった・・・

  そして、しばらく議論しているうちに東海岸の地図を見ていたとしをが言った。

  カナダに行きませんか?

  即座にオレが反応した、それはいいかもしれない
  
  Oさんは当初、かなり意外に思ったらしい。しかし考えているうちにけっこういい考えである
 ことに気づき、すぐに行動に出た(ここがOさんのすごい所だ!)。

  NYの日本領事館に連絡する、カナダからはエアーカナダ航空、JALが出ていることを確認。
 しかしJALはアメリカ経由らしいのでちょっと厳しい。

  よし、エアーカナダに状況を聞いてみる。明日(12日)はわからないが13日は飛ぶとのことだ。
 まだ席も空いている(この時点では空いていた)。

  オイラはHISにかけてみる。UA航空を含むNYの出発は全くわからないとのこと。
  金銭的に考えると、UAの振替えに乗るのが一番いいが、いつになるかわからないしNYは危険が多い。
 なによりアメリカ系航空に乗るのは気持ち悪いのでやだ!(AAとUAが墜落した)。

  オレらが国際免許をたまたま持っていたのも大きかった(シアトルでドライブするためにとったのだ)。
 Oさんと交代で運転ができる!

  よってカナダ行きが決まった。

  次に東海岸のモントリオールにするか、やや中部よりのトロントにするか相談した。距離的には
 モントリオールが近いので、オイラは早く行くことを優先してモントリオールを推した。
  としをは少しでも日本に近い方がいいと考え、トロントを推した(バンクーバーまで行きたかったらしいが
 そいつはちょっと無理だった)。

  我々はインターネットを借りて、出発便を調べてみることにした。

  JALは言われた通りシカゴ経由しかなく日本への直行便はない。
  エアーカナダはモントリオールからだとトロント、またはバンクーバー経由がメインで、
 直行便はあるが毎日ではない。
  一方、トロントは直行便、またはバンクーバー経由が毎日出ている。

  よっしゃ! 距離はちょっと遠いが(500~600km)トロントの方が全然いい!

  この状況では乗り継ぎができるかわかないから直行便の方が絶対いいぞ!
 (これは後で大当たりであった)。 

  こうしてカナダ行きが決まったのであった。

  ちなみにここの会社の社長が、しばらく帰れないよーと断言しておった(ニューヨーカーはシビア
 だ!)

  確かにこの時点では、ロングアイランドを抜けれるか? カナダ国境は空いているか? 
 飛行機は飛ぶのか? など問題点は一杯あった。
  しかしNYにいるよりはマシだ! との思いが全員一致していたため、すぐさま行動を
 開始することに決めたのだった。

---9月11日はまだ続く---

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Google Mapより

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~その1

さて、ここからが本編

これからの旅行記(アメリカ逃亡期2001)は
2001年当時に書いたもので、周りの人たちに大好評だったもの

10年前のものなので、いまと書き方や考え方が違うところもあるけど
そのまま載せます(詳細情報などは補足)

-----------
アメリカ逃亡記2001

その1 「嵐を呼ぶ2人」 

 NY(ニューヨーク)最後の夜はMLB観戦(ヤンキースVsレッドソックス)の予定だった。
 しかし夕方からの断続的な雨で、ヤンキーススタジアムまで行ったものの結局、外野の芝生は水びだしで2時間後に中止が決まってしまった。
 目的の野茂は既に前の日に投げていたが、ロジャークレメンスの20勝がかかっており楽しみにしていたのだが、残念だった。ノリのいい(良すぎる!)アメリカの観客と一緒に楽しみたかったのだが… 

 アメリカは子供から年寄りまでMLBを見に来て、しかも異常に盛り上がる!
 シアトルの試合は非常に楽しかった(イチローはいつもと全く同じだったが)。しょうがないからホテルに戻った。寝る前にアメリカも終わったなー,などと話し、ナイアガラはでかかったなー、自由の女神は上まで登れなくてファッキンだったなー、とか言ってしみじみしていた。
 MLBはめったに中止にならないので、ちょっと運が悪かったな、またいつかリベンジしよう、などと思って寝たのだった。

 しかし、こんなことで運が悪いなんて言ってる間は余裕だった。
 この後に起こることと、大脱走して逃げ切ったことを考えるとね。
 そして終わった後に、ダイハードのブルースウィルスのように「なんでいつもこんな目に会うんだ!」
と叫ぶのであった・・・ 

 ホンマ、なんでやろね!

9月11日(火)

 前の日に空港までバスで行くかイエローキャブ(タクシー)で行くか悩んでた。
 普通なら安いバスなのだが、近場の送迎バスは19ドルとバカ高(NY物価高すぎ!)で、30ドル強のイエローキャブの方がいいかなー、でもイエローキャブはなんか信用できないなー(昔よりは全然マシらしいが)、でも1回ぐらい乗ってみるか、なんて感じで結局はイエローキャブに決めた。
 ちなみにとしをはイエローキャブグッズをけっこう買っていたな。NY記念らしい・・・

 我々は余裕を見て少し早めに出ることにした。
 結局、後から振り返ると、この選択が運命を分けることとなった。

 フライトはAM11:20だったので、9時ごろに空港につけばいいと思ったのだが、着いたのは思ったより早く8:30だった。
 ちょっと早すぎた、ヒマそうだと正直思ったが、この30分程度のずれがこの後の展開を大きく変えた。

 ここからは時間毎に追う。

8:30
 マンハッタン、橋、ハイウェイを通って空港に着く。早く来すぎたと思いながらもチェックイン。
 窓側が取れたのでラッキー,と思いながら空港内でお土産を買う。

9:00すぎ
 お土産を買っておやつを食っていたら、としをがやってきてビルに飛行機が突っ込んだことを
 知らされる。オイラは軽飛行機でも突っ込んだのかな、と思ってあまり気にしなかった。操縦ミス
 とかで突っ込む小型セスナの事故ならたまにあるしな、とかそんな感じだった。

9:30ごろ
 ヒマだから少し寝ようと言う話になって、コーヒー飲んでから寝ることにした。我々の旅は
 なぜかいつもスケジュールが厳しくて(わざとではないのだが)、今回の旅も眠い日が多かった。
 とても飲みきれない大カップのコーヒーを飲んでると、TVの前に少し人だかりができている。
 例の飛行機の事故かな?とちょっと見に行くと、見たことのあるツインタワーに煙が2つ上がっていた

  これ結構、大事故じゃないの?

 と思いながらテロップを見てると、ぶつかったのは旅客機らしい、テロの可能性がある、
 などと書いてありテロかー、などとのん気に見ていた。ちなみに他の日本人は全く気づいてなかった。
 我々もこの時点ではまだ他人事のように感じていた。

10:00ごろ
  コーヒーを飲んだので寝ようかと思ったが、TVの前にはますます人だかりができてきたので、
 再度見に行ったら新たな情報が入っていた・・・

  地下鉄はストップ
  橋も一つを除いて全て閉鎖
  そしてビルの火災は未だ鎮火せず etc・・・


  かなりやばいことになっているのにやっと気づいた。後で確認したら、9:00前のテロ発生後、
 すぐに地下鉄と橋は閉鎖になり、電話もつながらなくなっていとのことだった。つまり30分遅か
 ったらマンハッタンから出れなくなっていたところだった。
  この後、2日間ほど交通は止まっていたので、それを考えるとギリギリだった…

   そして数分後・・・

   右側のビルが崩れた・・・、そう昔見たCMのように・・・

   寒気がした・・・


  TVのアナウンサーはつぶやくだけ、Oh My God,Oh My God…
  周りの人達(日本人以外)も呆然としている。
 この感覚は前にも感じたことがある。そう阪神大震災のときと同じだ!
 いわゆるシャレにならん状況と言うやつだ。それでいてなんとなく現実感がないんだよね。
 そしてTVにはテロップが流れる。

  明らかなテロ攻撃
  US出発口で爆発の可能性あり
  NYの空港全てを閉鎖する・・・
 
 
  あーあ、やっちまった!

  しょうがねーなー、と思いつつまだ空港の方で発表がないので、その辺をうろつく。マンハッタンの
 方向に大きな煙が上がっているのが見えた、何人かの日本人が写真を撮っていた(ちょっとひんしゅく)。日本に電話をかけようとするがすでにつながらない。
  UA航空のロンドン行きは既に中止が決まって、客が騒いでる。←ポールマッカートニーが乗ってたらしい
  そして遂に日本便も中止が決まり、係員が説明している。
  しかも聞いてみるとケネディ空港は1日中閉鎖するとのこと。すぐに出て行けとの指示があり、
  せかされるように出口の方へ連れて行かれて、荷物受け取り所で荷物を返されることになった。

  空港内は既にちょっとしたパニックで、先を争って荷物を取っている感じだった。オレらは急い
 でもしゃーないかなーと落ち着いてから取る事にしたが、後で一緒に行動することになった日本人のOさんによるとかなりのパニック状態だったそうだ。

  そんなこんなで荷物を受け取り出口に向かったが、さてどうすればいいかわからない。旅行会社に
 電話をかけてもやはりつながらないので、外に出てタクシーにでも乗ろうかなと思ったが、既に大行列・・・
 とりあえず空港から離れた方がいいので、バスを待つことにした。

  このときのオレの考えでは、マンハッタンは閉鎖されて戻れないので、空港周りで待機してまた
  明日来ればいいか、などと思っていた。しかし状況はそれどころではなかったようだ。

  最初のバスが来た。ハーツ(レンタカー会社)のバスだ。既にハーツの車はシアトルで乗っている。
  一応としをもオレも国際免許はあるので、レンタカーでも借りてホテルを探すのもいいか、とにかく
  早くここから離れた方がいいと思って、飛び乗った。そしてすぐ後にOさんが乗ってきた。

  最初のバスがハーツだったことと、ここでOさんに出会えたことがこの後の
  展開を大きく変えることになるのであったんだった。


補足
 テロの詳細時刻と、我々の移動記録を合わせてみる
 そのとき撮った写真に時刻が記録されていた

7:42 ホテル前
 FH020021.jpg


7:53 マンハッタンを抜ける橋の手前(ちょっと渋滞してた)
 FH020022.jpg

8:11 ニューヨークメッツのホーム シェイスタジアムの横を通る
 FH020023.jpg

8:30ごろ JFK空港に着く

8:46  アメリカン航空11便がツインタワー北棟に激突

9:03  ユナイテッド航空175便がツインタワー南棟に激突

9:59  ツインタワー南棟が崩壊

10;06 空港から撮った写真
 FH020024.jpg

10:28 ツインタワー北棟が崩壊

 マンハッタンの橋はテロ直後に閉鎖されたので、30分遅ければマンハッタンに閉じ込められたままだった。
 待機していればいずれは帰れただろうが、大幅に遅れることになったであろう

NY2-2.jpg
Google Mapより

---9月11日はまだ続く---

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旅行記4:アメリカ逃亡記2001~プロローグ

本当は旅行記3だった・・・
国内旅行を含めて、旅行記4とします

さて、今回はプロローグ

-----------
2001年はイチローがMLBに行った年
そして、野茂がボストンレッドソックスに移籍して
初登板でいきなりノーヒットノーランをやってのけた年だった

元々、野球は野茂とイチローしか興味がなかった
そして、イチローがMLBに行って日本の野球は全く興味がなくなった

一方、盟友「としを」とはトルコ、韓国と2年連続で海外に行き、
3年目の2001年もどこかに行こう、という話になっていた

というわけで、アメリカ観光&MLB観戦ツアーはあっさり決まった。

しかし、なんで9月にしたかなあ?

野茂の登板の予備日を入れたかったのと、としをの仕事の都合だったような気がする
あと、イチローが地元シアトルで、野茂がニューヨークの試合の時(ボストンのチケットは全然取れなかった)
野茂の中4日のローテーションを計算して、この時期に決まった記憶がある。

そして旅は始まる

--------------
2001年9月5日 サンフランシスコ経由でシアトルへ
 東向きは必ず寝不足になる(西向きは寝まくればよい)。
 あまり寝れずに到着したら昼で、そのままシアトル行きに乗り換え
 今回はレンタカーを借りることにして(メインドライバーはとしを)、シアトルからホテル
 ホテルからセーフコフィールドへ 
 駐車場に入るのにやや手間取り、試合はもう始まっていた

 そしてイチローは普通にそこにいた

 イチローは毎年のように西武ドームや東京ドームで見ていたので、何かアメリカにいても違和感なく見れた。
 普通に溶け込んで、普通にプレーしているイチローはすげえなあ、と思った
 (そしてそこから10年 まだ活躍している)

 しかし、移動の疲れでヘトヘト  初日はきついもんだ

 FH040009.jpg
 
9月6日
 シアトルはあまり見るところがなかったので、NHLのシアトルシーホークスのグッズを買って(知り合いが大ファンだったので)ちょっと周りをドライブした
 しかし、特に何もなかったなあ
 シアトルと言えばスタバコーヒー、ジミヘンドリックス、ニルバーナぐらいか
 9月とはいえ、けっこう夜も寒く、静かな地方都市のイメージであった

 イチローはあまり騒がれるのが好きではないのかな
 10年以上もシアトルに居続けるとは思わなかった

9月7日
 シアトルからニューヨークに移動
 いきなりマンハッタン~

 シアトル~ニューヨークは3時間の時差があって、移動も確か5時間ぐらいかかったからかなり時間を費やした
 当時の記録見るとシアトル8時~ニューヨーク16時って書いてあった
 アメリカは広いのう  MLBも移動が大変だな

9月8日
 この日は野茂の登板の予備日だったが、ローテーションはずれてなかったのでニューヨーク観光にでかける

 ヤンキーススタジアムの下見をしてから(ブルックリンブロンクス)、南に下って自由の女神を拝見(あのツインタワーのすぐ近く)
 自由の女神は、さんざんならばされた挙句、工事か何かで上まではいけず、台座のあたりで終わり
 最初から言えよな~ (書いてあったかもしれないが)
 無駄に時間を費やした

FH000010.jpg

 自由の女神とマンハッタン

FH000003.jpg

 アレがまだありますな(3日前のこと)

 このあとジョンレノンが撃たれたダコタアパート前にいき、セントラルバークでダベってから戻った

9月9日
 この日は一日空いたので、ナイアガラの滝日帰りツアーにいった(ベタな企画だが)

 ナイアガラの滝にいった → よく覚えていてほしい。この物語にまた出てくるので

 ベタではあったが、ナイアガラの滝はすごかった
 遊覧船で近くまで行ってしぶきをあび、上から瀑布を見て、その迫力に圧倒された
 日本にはああいうのないもんなあ

 なかなか楽しかった

 FH010006.jpg

 しかし、この日に野茂が投げてしまったのを帰りの飛行機で知った・・・
 (同乗した日本人に聞いた)
 
 ヤンキース4連戦  一応、8日を予備日にしてあった。
 またローテーションがずれるのがわかったら、9日のナイアガラツアーをキャンセルするつもりでいたのだが
ギリギリまでローテーションは予定通りで、この日だけ急に変わってしまった

 先発ピッチャーの登板日をピンポイントで当てるのはけっこう難しい
 3連戦ぐらいのチケットを取っておかないと安心はできない

 ダルビッシュの登板も急に変わったりしたもんな~ 

 まあ、ピンポイントツアーしか組めなかったから仕方なかった

 結局、アメリカでの野茂は見れなかった。
 91年に藤井寺球場で1回見たきりに終わった(野茂Vs西武黄金時代メンバー)
 
9月10日
 この日は夜までヒマだったので、再びニューヨーク観光、そして夜に試合

 これまたお約束のエンパイアステートビルにのぼり、マンハッタンを一望した

 そのあと、マジソンスクエアガーデンの前に行って、その近くのマックでメシを食い、
 そのマックのトイレは頑丈なカギ付きでちょっとビビり、かの有名なタイムズスクエアをぶらぶらした
 (なんてことはないストリートだったが)

 しかし、今思うと一日差
 この日にアレが起きなくて良かった、とつくづく思う

 もちろん、廻ってるときはそんなことは思いもよらず、能天気であった 

 FH020005.jpg

 前にも載せたが、エンパイアステートビルから見たマンハッタン南側

 FH020004.jpg

 そして、夜の試合
 野茂は見れなかったが、ロジャークレメンスが先発ということで楽しみにしていた

 が・・・、夜になって雨!!

 MLBはあまり雨天中止はないが、2時間ほど待ってやまないことが判明したらしく
 中止が決定した

 残念だったが、まあ野茂が見れなかった時点でテンションは落ちてたので、いさぎよくあきらめた

 ヤンキーススタジアムの中に入れたのはいい思い出になった(しかし、ボロかったが)


 ・・・さて、普通の旅行記なら、これで翌日に飛行機に乗って終わりなのだが
 物語はここから始まる

~続く~

-------  

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オフ企画:旅行記はじめます

さて、毎年恒例のオフ企画「旅行記」を再開します
(読んでいる人はそんなにいないだろうけど)


これまでのおさらい

旅行記1:国内旅行 日本制覇を目指して~主に学生時代 → こちら

旅行記2:初の海外旅行~ヨーロッパに行きたかった → こちら

旅行記3:トルコ皆既日食~「としを」との旅その1 → こちら

1995年 社会人になって金ができたので、初の海外旅行に出かけた
  場所はロンドンとドイツ

1999年 久しぶりに海外行きたいな~と思い立ち、
  ちょうど夏休みにトルコで皆既日食があることを知った
  いろんな知り合いに声をかけ、「としを」と2人でトルコに行った

-------
その後の海外

2000年6月 韓国旅行
 盟友「としを」と近場の海外に行こうと思い立った
 韓国かタイかで悩み、手ごろな韓国にした

 韓国は・・・  正直見るものがあまりなくつまらなかった
 キムチはうまかったが、最後にはあきた

 唯一面白かったのは、国境の板門店ツアー
 このころは融和政策で南北朝鮮は緩い感じで、国境も記念撮影バンバンできてぬるかった。
 変な国だな~と思った

2000年6月 アメリカへ仕事で行く
 この頃、アメリカのベンチャー企業と仕事をしており、メインの設計をしていたが
 年が若いこともあり、なかなか海外出張にいけなかった(いわゆる年功序列ですな)
 やっと、念願かなってシリコンバレーにいけることになったのだが、先の韓国旅行と思いっきりバッティング!

 何とか日をずらしてもらい、
  木~日 韓国3泊4日
  日曜の昼に成田着 → お土産を当時の彼女(今の奥さん)に渡す
  日曜の夕方にサンフランシスコに向けて飛ぶ 
 という無茶なスケジュールになった

 案の定、アメリカに着いたとたんに過労で発熱、ハラ痛になり
 サンフランシスコ観光はキャンセル  2日ほどヘロヘロだった
 しかし、3日目には治ってたな  若かったな~

 アメリカで1週間ほど仕事して帰る  疲れたわ~

2001年6月 アメリカへ仕事で行く その2
 1年後再びアメリカ(シリコンバレー)に
 先のベンチャー企業はつぶれ、新しい企業と仕事を始めた(アメリカではよくあること)
 なんか新しいスポンサーを獲得したとかで、ちょうどピザパーティーをしていた
 アメリカは何かあると、すぐにピザとコーラだ  よく飽きないのう
 
 この2つのプロジェクトはいずれもうまくはいかなかったが、なかなか楽しかった
 朝イチに電話会議でアメリカとバトルしてたもんだ
 オレも若かったから全然引かずで、向こうのリーダーに怖がられてたな
 
そして・・・

2001年9月 アメリカ旅行へ
 「としを」との海外旅行 パート3
 目的はMLBで野茂とイチローを見ることだった
 その当時、ボストンレッドソックスに所属していた野茂のローテーションを計算し、
 ボストンのチケットが全然取れなかったので、NYでの試合のチケットをとった
 (イチローはシアトルね)
  
 そして、とんでもないことに遭遇してしまった・・・
 → こちらの記事を参照

~続く~

-------  

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あれから10年

あれから10年か・・・


ここに一枚の写真がある


FH020005.jpg

ツインタワー

これを撮影したのは、2001年9月10日

エンパイアステートビルからの撮影


撮影者は・・・   オレ


FH020004.jpg

そして、この次の日の朝、ツインタワーは崩壊した
その時、俺たちは・・・  

阪神大震災も強烈な体験だったけど、このときもすごかった

ここでは語らないが、色々な思いがそのときにあった
それはオフシーズンに「旅行記」で語ることにしたい


あのころは、その後、結婚して北海道に戻るなんて思いもしなかったなあ

やっぱ若いときには色々経験した方がええで
死なない程度にな


FH020024.jpg

ケネディ空港から撮った写真
撮影時刻を見たら、2001/9/11 10:06 になってた

------------
しかし、今年の津波はそんなこともぶっ飛ばしてしまった感がある

「生きる」とは何か?

多くの人があらためて考えたことだろう

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名古屋・岐阜への旅

先週、BOOM BOOM Satellitesの「追っかけ」で名古屋に行ってきた(ライブレポートはこちら

ライブだけに行くのは勿体無いので、名古屋周りを観光することにした。

名古屋は仕事で、まあ30回ぐらいは行った経験がある(豊橋とかは50回以上!)
しかし関東からだとたいがいは日帰り。
しかも新幹線の駅と目的の地に行くばかりで、名古屋のほかの場所へ行ったことはほとんどない。
駅周りでメシくって、ちょっと飲みに行くぐらい

何年か前に愛知博に行ったが、それもその場所だけ
ちゃんと観光したことはなかった。

正直、名古屋はあまり面白いというイメージがないのだが、独特の文化を持っているので
名古屋と言えばという「お約束」のことをしてみた

------------
着いた日、気温は26度ぐらい
暑い! ジメジメしてる!  しかし前の日は33度あったらしい

さっそく、お約束その1  煮込みうどんを食べる

しかし・・・  うどんが堅め  煮込みなのになぜ?
ダシは八丁味噌 これは知っていたが、味噌だけってのも・・・

続いてお約束その2  名古屋城に行く

名古屋城は大学の時に行ったが「広い」「しゃちほこ」しか印象にない

名古屋城と大阪城はでかいので、中にエレベーターがついてる
それゆえちょっと興ざめだが、階段はちとつらい

名古屋城はやっぱしゃちほこ あとはでかいだけ
あ、石垣はさすが!と言う感じ 加藤清正だね

そして名古屋は合理的
障害者用のエレベーターがついている(下側の木の横)
DSCF9255.jpg

合理的だが美しくない。

登りは中のエレベーター、下りは階段。中はコンクリートで綺麗
合理的だが趣(おもむき)はない

名古屋はそんな感じ   工事中で天守閣の写真が撮りにくかったし

しゃちほこ
DSCF9260.jpg


次にお約束その3  栄に行く

テレビ塔と公園が札幌に似てる  少しサイズがでかいかな?
DSCF9267.jpg

しかし、なんか公園も周りの建物も無機質と言うか温かみがない気が・・・(色、デザインともに)
あまり庶民的ではない感じ

お約束その4  手羽先を食べる 店は風来坊

札幌の「世界の山ちゃん」はあまり美味いとは思わなかったが、「風来坊」はうまかった!
ひたすら手羽先と名古屋コーチンを食べた(魚とかはパス)。

-------
次の日

お約束その5  名古屋でモーニングを食べる

ホテルの一番近くにあったのが、一日中モーニングで有名なモーニング喫茶「リヨン」
後で有名だと知ったが、小倉(バター)サンドを食べた  うまかった
まあでも朝メシには少ないよな

ちなみに今週その店が、TVHの深夜「ありえへんWorld」に出てた


お約束その6  名古屋の道を走る

なんといっても愛知県と北海道は交通事故死の永年のライバルだ!
毎年、覇権を争っている

名古屋の道は3車線、4車線は当たり前
右折、左折レーンを入れて6車線というのもある。しかもそれで渋滞したりする。

でも運転うまいので走りやすい。というか北海道がヘタすぎるのだが
飛ばしやすいので事故が多いんだろうな~

しかし名古屋の道は難しい  なかなか中心街から抜けられなかった。

残りのお約束その7  帰りに空港できしめんを食べる(奥さんは味噌カツ)

名古屋は独特の文化がある(他にド派手な結婚式など)。

しかし、ヨソ者が一通り体験してみると、何だかあまりパッとしないなあ・・・  と言う印象
この辺が大阪のたこ焼きとかお好み焼きとか早歩きとかボケと突っ込みとかと違う所

合理的、ケチ、地味、ちょっと変わってる、という感じ

あ、あんかけパスタはやめときました。ちょっとヤバそうだったので

----------------
名古屋はこんなもん

あと、ちょっと時間があったので岐阜方面の円空さんゆかりの地にいく(これは別途)

岐阜城にも行く
犬山城にも行きたかったが、時間が足りなくてパス

岐阜城はすごい!

こんな山の上(金華山 300m以上)に城を築いてしまうセンスに脱帽だ!
まあ不便このうえないけど
DSCF9300.jpg

DSCF9328.jpg

今でも登るのは大変そうだから、400年前は本当に天上の感覚
岐阜(稲葉山)の殿様 = 天上人 と言う感覚だったろう

その代表は斉藤道三と織田信長
織田信長はここを岐阜とあらため、天下布武の号令を出した
ここから京を目指したってわけだね その礎となった所

山内一豊とお千代が燃える岐阜城の中で結婚の約束を・・・  って本当かな?

隣に長良川競技場があった。もう改修は終わったようだ。
花火はすぐ横の長良川から打ち上げられたのかな?
DSCF9312.jpg

名古屋から見ると、豊橋や岡崎より岐阜の方が近い感じ(雰囲気も) 

しかし名古屋の中心は名古屋駅周りか、栄周りなのかよくわからなかった
最近まで自動車バブリーで景気が良かったせいか、やたら店があった(そして人も凄かった!)

名古屋の人口は220万人
札幌と30万人しか違わないが、人口密度が違うのか人がいっぱいいっぱいでうっとうしくなった(ジメジメしてるし)
オレらもすっかり北海道に慣れちゃったな~

帰りは28℃、札幌着いたら15℃でした。
名古屋の良さというよりも、北海道のよさにあらためて気づいた旅でした

しかし、城や神社や寺や円空さんがある所はいいね~ (いやあ爺くさい趣味だ)
北海道は古いものを大事にしないところだから


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旅行記2~トルコ皆既日食1999 その4

中断してた旅行記2の続きです(最終編)

旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1
旅行記2~海外編序章/トルコ皆既日食その1はこちら → 旅行記2

あらすじ

1999年 筆者(つくる)は同僚(としを)と共に、トルコに皆既日食を見に行くことにした。
モスクワ経由でイスタンブール→アンカラ(首都)に移動
皆既帯のカスタモヌに行って、何とか皆既日食を見ることができた(ギリギリ!)

あとは無事帰るだけ  だが小イベントが続く・・・


これは当時、旅行記を書いて周りの評判が良かったものに今回補足しています。
(よって文章が若い)



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tag : 旅行 海外旅行 トルコ 皆既日食

旅行記2~トルコ皆既日食1999 その3

旅行記2の続きです。

旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1
旅行記2~海外編序章/トルコ皆既日食その1はこちら → 旅行記2

あらすじ

1999年 筆者(つくる)は同僚(としを)と共に、トルコに皆既日食を見に行くことにした。
モスクワ経由でイスタンブール→アンカラ(首都)に移動
これから、皆既帯のカスタモヌまで行かなければならない

さ~て、皆既日食を見る事はできるのか??


これは当時、旅行記を書いて周りの評判が良かったものに今回補足しています。
(よって文章が若い)



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tag : 旅行 海外旅行 トルコ 皆既日食

旅行記2~トルコ皆既日食1999 その2

旅行記2の続きです。

旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1
旅行記2~海外編序章/トルコ皆既日食その1はこちら → 旅行記2

あらすじ

1999年 筆者(つくる)は同僚(としを)と共に、トルコに皆既日食を見に行くことにした。
モスクワ経由でイスタンブールに到着

さ~て、皆既日食を見る事はできるのか??

これは当時、旅行記を書いて周りの評判が良かったものに今回補足しています。
(よって文章が若い)



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tag : 旅行 海外旅行 トルコ 皆既日食

旅行記2~トルコ皆既日食1999 その1

旅行記2を再会します。

旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1
旅行記2~海外編序章はこちら → 旅行記2

社会人になった筆者(つくる)は初の海外旅行(ロンドンとドイツ)にいった。

そして、1999年夏にあるイベントがあった。

皆既日食!(ちょうど夏休みの期間に)

これは行かなあかんやろ!
というわけで、相棒を探して旅立つことにした。

この旅行記は、その当時に書いて周りの友人に大好評だったものです。
文章はほぼそのままで(よって所々若いなあ、と思う部分もあり)、補足する形で記載します。


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tag : 旅行 海外旅行 トルコ 皆既日食

旅行記2~海外編序章2(初の海外)

旅行記2の続きです。

旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1
旅行記1~海外編序章1はこちら → 旅行記2

社会人になった筆者(つくる)は海外を目指した(時代は90年代半ば)。

行き先はロンドンとドイツだ!


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旅行記2~海外編序章1(初の海外)

一部では好評だったオフ企画 旅行記を再開します。


旅行記1~日本制覇はこちら → 旅行記1

ヒマな学生の内に日本はほぼ制覇した筆者(つくる)は、海外に出るようになった。
しかし、そういう運命なのか、自ら招き入れるのか、まあ普通の旅にはならないのであった。

今後の予定

・序章 初の海外 ロンドンとドイツ

・トルコ皆既日食1999(旧名:トルコとロシア)

・アメリカ逃亡記2001

・海外への旅いろいろ 韓国、アメリカ、中国、イタリア

・アフリカ玉砕2006


まずは序章(初の海外)から・・・


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旅行記その1~日本制覇7(番外編その2)

旅行記その1  最終編です

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24歳で沖縄以外全て制覇/32歳で全国制覇

あちこち回ってます。

番外編として、各都道府県行った所など紹介します。

その2 西日本


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プロフィール

Tu-k

Author:Tu-k
とし:70年代生まれ

出身~経歴 :
 東京生まれ北海道育ち
 大阪~東京~神奈川を放浪して、2007年に北海道に戻ってきました。

 現在、札幌在住

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コンササポ経歴

 わりとぬるサポ

 初参戦は2000年大宮戦(アウェー)岡ちゃん時代。
 その後はあまり行ってなかったが、2005年ぐらいから東京、横浜のアウェー戦を観戦。
 07年京都戦で念願の初ホーム観戦!
 
観戦歴:
07年J2 0勝1分1敗
08年J1 0勝5分8敗(暗黒)
09年J2 3勝4分2敗
10年J2 1勝1分2敗
11年J2 1勝
12年J1 0勝3敗
13年J2 3勝2敗
14年J2 2勝1分1敗
15年J2 0勝3分2敗

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